かしこでは悪人も、あばれることをやめ、 うみ疲れた者も、休みを得、
またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。
これは下って陰府の関門にいたり、 われわれは共にちりに下るであろうか」。
したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。
こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。
どうぞ、わたしを陰府にかくし、 あなたの怒りのやむまで、潜ませ、 わたしのために時を定めて、 わたしを覚えてください。
そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。
また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
(この義人は、彼らの間に住み、彼らの不法の行いを日々見聞きして、その正しい心を痛めていたのである。)
主はまたイスラエルをも、あなたと共に、ペリシテびとの手に渡されるであろう。あすは、あなたもあなたの子らもわたしと一緒になるであろう。また主はイスラエルの軍勢をもペリシテびとの手に渡される」。
なにゆえ、わたしは人知れずおりる胎児のごとく、 光を見ないみどりごのようでなかったのか。
捕われ人も共に安らかにおり、 追い使う者の声を聞かない。
それで、わたしはなお生きている生存者よりも、すでに死んだ死者を、さいわいな者と思った。
その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない。